『分析論後書』と『ニコマコス倫理学』第一巻 Carlo Natali "Posterior Analytics and the Definition of Happiness in NEⅠ"

NE.Ⅰの構成は、NE.Ⅶのいわゆる「倫理学の方法論」とは異なり、APo.Ⅱで提示される定義探求のモデルに従っている。

 個々のテキスト解釈には参考になるところがあるが、脱線が多く、全体としてはポイントがいまいちはっきりしない。筆者のAPo.Ⅱ冒頭の解釈が謎*1

 

  • Carlo Natali (2010) "Posterior Analytics and the Definition of Happiness in NEⅠ" Phronesis, Vol.55.No.4. pp.304-324.

 

1.'Ei estin'

・APo.89b23-35:あらゆる学問的探求の第一歩は、定義される対象がある(exist)かどうかを観ることである。

・NEⅠ:SHG(Supreme Human Good)の存在を指摘している。

 我々がそこで知るのはSHGの存在だけであり、それが何であるかは知らない。

⇒endoxaから始まり学問の原理へ向かう議論と、APoⅡ.の手続きは矛盾しない。

 

2.’Ti estin’:A Nominal Definition

・APoⅡによれば、定義対象の存在を確認した後は、「何であるか」(ti estin)という探求の第二ステップとなる問いへ移行する。そして、「それは何であるか」と「そうであるのは何故か」は同じである(90a14-15)

・ti estin の探求の第一ステップは、対象の名目上の定義を発見し、その定義の意味を説明することにある。名目上の定義の発見は、前段階のei estinへの答えを裏付ける。

・名目上の定義は、対象の存在だけでなく、関連する何らかの情報も与えてくれる。

・NEでは、SHGは日常言語においてどんな名前をもつか、それ(eudaimonia)が何を意味するか、説明されている。そこではendoxonが用いられる。

・以下、省略*2

 

3.’Ti estin’: The Qualities of Happiness

・名称と意見についての検討後、始めと同じ地点にいるとArist.は考えている。実際、既に一章で述べたことを繰り返している。(1097a14-24)

 ヘーゲル以降、この箇所からArist,は議論の方法を変えたと見做されてきた。*3:他人の意見を調べることをやめて、より抽象的・理論的方法に切り替えた。

 *a24のmetabainon。この語に方法の変化をみる解釈(G.Ramsauer; J.Burnet; F. Dirlmeier; J. Tricot)。別の解釈'step by step'(Stewart; Gauthier et Jolif; )。Nataliは前者。

・①1097a14-21 SHGの性質について、②1097b22-98a20 SHGの真の定義

②では、定義だけでなく、何故それが①で述べられる性質をもつ理由も説明している。

 

①SHGの性質:completeness(1097a14-b6)とautonomy(1097b6-21)

議論の手続き

(A)teleiotes/autarcheiaの語を調べる

(B)Top.で示された方法で語義を論じ、2つの性質の定義を与える(a33-4/b14-5)

(C)eudaimoniaが両方の性質を持つことを認める(b15-6)

(D)(c)の理由を説明。(b1/b16-7)

 

・eudaimoniaと以上の2つの性質の関係は?

 eudaimoniaの分析的要素とする人もいるが、本当に幸福がその2つの性質を含んでいるかは明らかではない。

 Pl.のPhilebusの影響の指摘がされており、こちらは説得的。(Grant; Burnet; Joachim; Broadie and Rowe

 

・SHGの特徴

-政治学の主題(1094a26-9)-名称はeudaimonia(1095a16-8)-よく生きることと快楽(1095a19, b13)-大衆の快楽的生でもないしPl.の善でもない(chap.3-4)-completeとautonomous(1097a33, b14-6, 20)

 

4.’Ti estin’:The Nature of Happiness

・1097b22-1098a20がNEにおいて最も重要で、多様に解釈される*4。主な潮流

①Arist.の議論の論理構造(論証的推論あるいは問答法的推論)を明らかにする

②現代的観点からArist.を擁護・批判する

 

・Arist.のエルゴン・アーギュメントと、イソクラテスやPl.との関係。

・Natali流の議論の再構成

●第一段階

-機能をもつものにとって、善はその機能を成し遂げることにある

-人間は機能をもつ

-それ故、人間にとっての善はその機能を成し遂げることにある。

 (第一前提は(1097b25-7)、第二前提は(b28; 28-33)で裏付けられる。)

 

●第二段階:人間の機能とはなにか。(b33)

・doxaiの調査からphainomenaの考察へ(phainomena:一般的見解だけでなく、経験的データも指す)e.g.植物や他の動物など

⇒人間に固有の機能は、魂の理性的部分のはたらき

・魂の理性的部分にはさらに2つの部分がある。⇐一般的見解ではなく、psychological researchの結果。

 

-人間にとっての善は、機能を成し遂げることにある

-人間の機能は、魂の理性的部分の活動(energeia)である

-それ故、人間にとっての善は、魂の理性的部分の活動にある

⇩さらに

-人間にとっての善は、機能を成し遂げることである

-人間の機能は、徳に基づく魂の理性的部分の活動である

-それ故、人間にとっての善は、徳に基づく、魂の理知的部分の活動にある。

 

・徳が複数存在するなら、そのうちで最もよく完全な徳に基づいて・・・

AspasiusはX.6-8における観想の優位への関連を読み込んでいる。Aspasius 19, 2

 

・上述の推論における属性、ergon、energeia、kath'aretenは全て、それらが紐付けられる対象(人間にとっての善)よりも、広義のものだが、全てまとめた場合はSHGにのみ適合する。この定義は,APo.Ⅱ.13の規則に則っている。

このようにして、こうした事柄(述語項)を、それら(述語項)のおのおのは、(主語項)より広い拡がりにあるが、(述語項)全体では(主語項)より広い拡がりにあることがなくなるような事柄が初めて把握されるまで、取り上げなければならない。APo.96a32-4

 

・NEⅠにおいて我々が見てとるのは、結論としてSHGの定義をもち、部分的にendoxaに、部分的にphainomenaに由来する諸前提から出発する論証的推論。

 

5. Confirmation and Consequences

・NE.Ⅰ.7-12では、提出された定義が問答法的に確認される。つまり、一般的見解との照合によって。De Caeloの議論を抜粋。(270b4-9)そこで、phainomenaは1089a5-7と異なり、一般的見解を意味している。

・Arist.の幸福の定義は一般的見解に一致し、さらにいくつかの問題の解決に寄与する。

 

6. What Happnes Next?

・NE.Ⅰ.13では新たに、真だが依然として厳密さを欠く幸福の定義について、そこに含まれる徳の概念が議論される。

・Arist.にとって、Ⅰ.13-Ⅳ.の終わりまでの議論は、1098a16で提出された定義を明確化するものである。

・焦点は、psches energeia kath'areten ではなく、arete。前者の解釈(Brewer; Grant; Joachim; Gauthier)

・definiensはdefiniendumよりも周知のものであるはずなので、eudaimoniaよりもareteやenergeiaのほうがよく知られていなければならない。つまり、不明瞭さはそれらの述語にあるのではなく、定義の対象それ自体に関わっている*5

・(一般的な性格の徳論から、個別の性格の徳論への推移について議論されるが、割愛)。

・NEⅠ-Ⅳには、関連する定義が連なっている。

 それぞれの定義は、前の定義よりも正確である。なぜなら、それは個別的(kath'hekasta)であり、普遍的(katholou)ではないから。幸福の定義は、性格の徳・思考の徳の定義がよりよく理解されることを要する。性格の徳それ自体の定義はあまりにも一般的なので、個々の性格の徳に適用されなければならない。

・それぞれの定義は、前の定義よりも正確であるのと同時に、よりpracticalでもある。(1107a28-32)

 

結論:NEⅠには、Ⅶ.1.の手続きではなく、定義の論証的推論が見られる。

つまり、まず、対象が存在するかどうかを確定して、日常言語においてその対象を指す語の意味を求め、次に、その対象の必然的性質を考察し、最後に、その対象の定義を発見することで結論とする。

 いずれの手続きも従うべき順序を明確に提示している。しかし、そのステップが異なるのは、探求の時点で、非常に異なる道を経由するから。NEⅦ.1.で提示され、G.E.L.Owenの画期的論文以降に研究されてきたいわゆる「倫理学の方法論」は、NEⅠ(より洗練され、精巧なセクション)に適用されないのである。

 

 

*1:ei estinに'exists'という訳語を当てながら、それとotiとを同一視しているようにもみえる。otiは、dioti「何故しかじかであるか」と対応して、「しかじかである」と訳出される概念だと思われる。なので、筆者の解釈にしたがうかぎりotiとei estinは同定できないはず。基本的には一致するものであるため、'exits'ではなく'is'などを当てるべきではないか。(訂正1/28)

*2:正直、この章後半の議論が何を目ざしているのかよく分からなかった。イデア論批判を取り上げているが、論旨にとって重要ではなさそう。

*3:ソース不明

*4:いわゆるエルゴン・アーギュメントの箇所である

*5:この主張と後述の内容がどのように関連するのか不明