「読み物」として読んだ本を記録することにします。2022年12月は次の通り。
- 『できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか』ポール・J・シルヴィア
内容を一言で言えば、「スケジュールを立てて、机に向かえ」。注意すべきことがいくつかある。まとまった時間を追求しないこと、一気書き(binge writing)しないこと、進捗を記録すること。まずは、執筆作業時間は平日に割り当てよという本書の教えを実践したい。
古典学に足を踏み入れたばかりの初学者にとって本書はあまりにも情報満載だが、第六章「テクスト批判」は非常に参考になる。写本研究における系図理論や、アパラトゥス・クリティクスの読み方など、大学の演習や研究で何となく身についたつもりになるが、きちんと教えてもらったことも、自ら学ぶこともなかった古典学の基礎を改めて確認することができた。
- 『イワナの謎を追う』 石城謙吉
「読み物」として読んだもののうち直近でナンバー1、もしかしたら2022のベスト本かも。「深山の淵にひそむ幽谷の華」の謎を追う、これだけでロマンがかきたてられる。著者自身のフィールドワークによって裏打ちされる実証的な研究はとても勉強になるし、なにより文学的な香気を放つ文章に魅了された。
――「分類学者には分け手(スプリッター)とまとめ手(ランパー)との2派がある」(p.39f)
――「生物界ではすべてのものが連続的であるとみていたアリストテレスにとって、種は必ずしも生物的自然の根元をなすものとして位置づけられたわけではなく、これはあくまでに彼の哲学体系から導き出された論理のあてはめの試みであった」(p.46)
――「ともあれ、北海道のオショロコマは、この種族が分布域の南限に残した陸封の残留部隊であり、温暖な時代における種の分布域の後退をここでくい止める役割を担っていると見ることができる。それはどこか、鞍馬山の森にひそんで時節の到来をのぞみ、やがて牛若丸という英傑を育てて源氏を再興したという、その昔の不敵な残党の故事を私たちに想い起こさせる。山間にひそむイワナの陸封個体群は、いわば幽谷の鞍馬天狗たちなのである。」(p.136)
――「なんと美しい、心躍る情景だろう。晴れた日の夏の伊茶仁川を訪れるたびに、私はきまってシューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」の旋律を想い浮かべる。そして、ウィーンの都の近くにもきっとこれとそっくりの川があるのに違いない、と思う。そうでもなければ、あの名曲が、どうしてこれほどまでにこの川にふさわしいだろうか――。」(p.138)
――「もしもそうなったとき、この地域は、その昔、源氏が宿敵の平家一門を追いつめて滅ぼしたというあの最後の決戦場にも似た所になるのではないか。知床半島は、赤い斑点と白い斑点のイワナの道内最後の決戦場、いわば壇ノ浦になる可能性をはらんでいるといえそうである。」(p.208)
――「なんという壮大なドラマだろう。北海道の清流に躍る彼らの精悍な姿は、種の攻防の波乱に彩られているのである。
想えば道東の原野で、白い斑点と赤い斑点の違いに一人首をかしげたことから始まり、時には文献の海に溺れかかり、時には晩秋の川岸で息を殺し、また時には山奥の滝をよじ登ったりしながら、北海道の清流に並び立つ二つの種の実像の間をさまよい歩いたこのイワナの物語を、このへんでひとまず終えることにしよう。」(p.212)
入門書と思って後回しにしていたが、遅ればせながら通読。重要な論点がおさえられていることはもちろん、著者独自の解釈も含まれる有益な参考書だった。熟慮・選択とta pros ta teleとの紐付けを、「目標の達成自体は選択することも熟慮することもできない」という意味で解釈する点について、なるほどと思うと同時に、deinosとphronimosのギャップを著者はどう説明するのか(おそらくethosが重要なのだろう)気になるところ。第十章が面白い。
- 『善く生きることの地平』土橋茂樹
いくつか気になる論文だけ読んだが、全体的にどの論文も(とりわけ第二部のデ・アニマ関連の諸論文は)面白そうなので再読したい。第14章 「人間本性と善」は、M・ヌスバウムについての論考、附論4では、アリストテレス倫理学の受容・変遷について、徳、幸福、思慮などの重要タームに焦点を当てつつ論じられる。
- Morality――An Introduction to Ethics Bernard Williams
1972年初版、ウィリアムズによる最初の単著である。一見すると入門書だが、複雑な議論が展開されているように思う。後のウィリアムズの哲学につながるような独自の視点が既に見て取れる。最近、フィルカルでウィリアムズ入門の連載が始まったが、その第2回となるvol.7no.3の功利主義批判解説で、本書最終章の議論が紹介されている。
- 『アリストテレスの時空論』松浦和也
パイノメナについて調べていたところ、たまたま手に取った本書に関連する議論があったのでつまみ読み。オーウェンの古典的論文の紹介、ヌスバウムの説、それを受けた著者の、「『自然学』第3,4巻は通念的パイノメナの批判を基盤としながらも、感覚的パイノメナを欠いて成立するものではない」(p.20)という主張。