アリストテレス倫理学における第一原理 Irwin, T. H. ”First principles in Aristotle's ethics. ”

  • Irwin, T. H. (1978). First principles in Aristotle's ethics. Midwest Studies in Philosophy 3 (1):252-272.

 

キーワード

first principles, practical reason, deliberation, means and ends, nous, hypotheses, dialectic, justification

 

 

1. The Limits of Practical Reason

目的:推論的思考の範囲外にあるかぎりでの、practicalな第一原理と理論的学問の第一原理の類比の意味を解明する。実践理性に関するその他の論点とどのように一致するか。実践的原理の正当化についてのAr.の見解をめぐる一般的問題を提起する。

 

実践理性の限定的見方:目的ではなく目的に向かうものについて熟慮する

問題:全ての目的は、個々の熟慮の目的にすぎず、他の熟慮が対象とする手段にもなりうるのか。それとも、熟慮されない、目的としてだけの目的があるのか。

⇒後者の証拠(EE1227a5-12; 1227b23-33; EN1151a15-19)

2. Hypotheses(=諸前提)

・Apoによれば、hypothesesとは、学問的真理の派生元で、結論よりも自然的によく知られる、正しい諸前提のこと。ある命題が第一原理である理由は、それが直観的知性によって把握されるから。しかし、その説明は不充分。

・第一原理への到達方法として直観的知性に訴えることは、redundantではないがindefensibleである。

 

3. Hypotheses in Ethics

・目的と前提の類比が正しいのなら、Ar.の意図は「究極目的は熟慮・推論では到達できない」ということ。

⇒しかし実際は、目的が本当に直観的知性によって把握される仮定であることを意味しない。なぜなら、その場合、倫理学は論証的学問となってしまうから。直観的知性に対応するのは、熟慮に始まり、選択に終わる「欲求」である。

・実践的な第一原理の把握についてはいくつか(3つ,p.255)選択肢があるが、Ar.が支持するのは、「自然的に定められた目的を我々がもつのではなく、何らかの仕方で目的を獲得する」というもの。

⇒どのように有徳な人になるのかを知れば、どのように我々が目的を把握するかを知ることになる

・習慣づけによって我々は有徳になり、目的は習慣づけによって獲得される。いったん獲得したら実践的推論は関与しない。

・理論的な第一原理に到達するためには、観察事実や一般通念を入念に調べ、直観的知性によって結論を確証しなければならない。他方、実践的目的に到達するためには、快苦の感じ方について習慣づけられる必要がある。

 

4. Deliberation

・実践的推論の限定的見解についての別の理解(前提との類比に疑問を呈する)

1.「目的に向かうものごと」≠「目的への手段」

2.願望は理性的な欲求である。願望それ自体は、その人の全体的な善についての熟慮の結果でなければならない

3.思慮は熟慮に関わる徳だが、目的の真なる把握も達成する。思慮ある人は、「善く生きる」や「幸福」の構成要素について熟慮する

4.思慮は完全な徳のために必要

 

⇒実践的な第一原理はますます前提と似つかないものになる。有徳な人の目的理解は、目的の構成要素についての思慮ある人の熟慮に依拠する。熟慮は明らかに目的と手段について考慮することができる。

 

5. Dialectic and Deliberation

・問答法は、理論的学問の第一原理への道であり。また実践的第一原理への道でもある(1095a28-b8; 1216b26-40)

・第一原理へ達する両立不可能な3つの方法: 思慮なしに習慣づけられた徳・思慮を含む徳・問答法

⇒3つの場合で「第一原理」は異なる意味を持つのか?道徳的行為者と道徳哲学者は別ものなのか?

⇒Ar.の見解ではない。『倫理学』においてAr.は問答法的議論を熟慮の一部として扱う。

・問答法も熟慮も行為の目的に関わる同じ方法。では、習慣づけられた徳と熟慮についてはどうか?

・究極目的とは諸目的の最善の組み合わせであり、それを知るためには政治的学知が必要。

・熟慮を超えた究極目的についての堅固な理解は想定されていない。ENの議論はdialecticalかつdeliberative。道徳的行為者の思慮と、問答法家の理論は、選択と行為の第一原理に到達する(もっとも目的と前提との類比は失われるが)。

 

6.Explanation of the Conflicts

・熟慮と問答法の範囲についての疑念を理由としても、Ar,の前提と目的との類比の採用は単なる誤りではない。

・熟慮と問答法についての懸念は、道徳的理論の効力について一般的問題を提起する。

・ENの議論はdialecticalであるが、単なるdialectical以上の側面がある。

・Ar.は、徳と幸福についての自身の理解、そこに内包される一般通念を、既にそれを受け容れている必要のない理性的行為者に対して正当化しようとしている。

倫理学の諸前提は理性的行為者にとって不可欠である。習慣づけは、問答法と熟慮が持つ役割と整合的に働く。

・ENにおける実践は、Ar.が目的と前提との類比を退けることを示唆する。熟慮と問答法は、倫理的な第一原理を正当化できる。

 

7.Developments in Aristotle's Doctrine?

・熟慮と実践理性の見解についてのEEとENの相違。

⇒EEはENよりも、目的=前提説とつながる熟慮の限定的説明を支持。

1.ENⅢは熟慮の広い説明を認めるが、EEⅡはそのような曖昧さを避ける

2.EEは徳と理性を2つの別個の能力として扱う

(a)ENⅥによると、徳(目的設定を担う)は思慮を前提するので、目的=前提というEEの類比が現われないのは当然。

(b)EE:徳――別の能力 /    ENⅥ:徳――才能(deinos)

⇒ENⅥ.13は、EEⅡ.11のその後の訂正として読めるかもしれない。

3.同一著作内の矛盾か、2つの著作間の矛盾か。

4.目的は推論を超えているという主張をEEは支持。ENは支持しない。

5.EEは熟慮の説明においてproductive craftsをモデルにするが、ENはより限定的。ENはEEよりも、目的の構成要素としてある活動についての熟慮は、技術者の熟慮と似ていないことを示唆する。

・Ar.の矛盾は、通時的に説明することができない。

・Ar.は倫理的熟慮のモデルとして、学問の論証構造に惹きつけられて、熟慮もそのモデルに従うと認めたが、その一方で、知識の一般的説明かつ理性的熟慮のモデルとしての論証的学問の限界も認めていた。