EudaimoniaのInclusive説の擁護 J. L. Ackrill "Aristotle on Eudaimonia"

  • Ackrill, J. L. (1974). Aristotle on Eudaimonia. In Amélie Oksenberg Rorty (ed.), Essays on Aristotle's Ethics. Berkeley, CA: University of California Press. pp. 15-34.

 

キーワード

eudaimonia, an inclusive end, a dominant end, ENⅠ,ENⅩ

 

Ⅰ.

ENの2つの問題

①正しい行為と性格の徳の基準は何か?(ENⅥで提起・答えなし)

②人間にとって最善の生とは何か?

 

②に対する二通りの答え

(1)よき行為が人間の最善の生

(2)第10巻において、純粋な観想的活動が完全なeudaimonia

 

先行研究:Guthier and Jolif; Hintikka; Hardie; Kenny

 

Ⅱ.

第一巻(一般に第10巻まで)で、Ar.はeudaimoniaのinclusive説を説明。目的-手段についての混乱を読み込む必要はない。

 

Ⅲ.2つの予備的考察

1.

――any end combining or inclusing two or more values or activities or goods

――an end in which different components have roughly equal value

  • ”a dominant end”

――a monolithic end, an end consisting of just one valued activity or good・・・(strong)

――element in an end combining two or more independently valued goods that has a dominant or prepondering or paramount importance・・・(weak)

 

⇒Hardie とKennyが第一巻はdominantとしてのeudaimoniaを説明していると主張するときのdominantは、strongな意味のdominant。

 

2.

第一巻のeudaimoniaに関する問いには、a linguistic, a conceptual, an evaluativeな問いが混ざっており精確に区別する必要はない。注意すべきは、"Aristotle makes eudaimonia a dominant end"という主張の2つの意味

①eudaimoniaという語の論理的力と諸概念との位置関係の考察が示すのは、eudaimoniaが必然的にa dominant endであること。

②単一の活動であることが、eudaimonia概念そのものに含まれるのではないが、実際に単一の活動であるということ。

⇒Ackrillは「第一巻でinclusive説をAr.は説明する」と主張するとき、概念それ自体についてのAr.の説明と、その概念を満たす生についての見解とに言及した。

 

Ⅳ.

・1094a16-18の解釈:活動間の区別(それ自体が目的か・他に目的があるか)に応じて、一方の活動が他方の活動に従属するタイプも2つに区別される。

productのない活動の場合、それは全体―部分関係? e.g. putting is playing golf, and golfing is having a good holiday.

 

・あるものがそれ自体のためでも、他のもののためでもあるという着想がeudaimoniaの説明においても活用される。eudaimoniaは、それ自体が目的であるような諸活動から構成される。

 

・"telos"は(道具的)手段ー目的関係に限定されない。(contra Hintikk; Gauthie and Jolifはaction being its own endを認めつつAr.の記述を問題視)

⇒道徳的行為がそれ以外のproductを生む手段であることなしにeudaimoniaのためであるような下属のタイプが存在する。

 

Ⅴ.   ENⅠ.7の検討

・”most teleion”:それ自体で価値づけられる多くのものはeudaimoniaのためにも価値づけられるが、それらのためにeudaimoniaが目ざされることはない。eudaimoniaはあらゆる内在的価値を含む最も望ましい生。

・”autarkes”:eudaimonia=the most worth while of all things, not being counted as one good thing among others

・2つの論点

①他の何かのためではなく、eudaimoniaのために他の何かを追求する(eudaimonia is inclusive of all intrinsic goods)

②eudaimoniaよりeudaimonia+αが好ましいということはできない

 

・Gauthier and Jolifは究極目的の優先関係について言及しない。Hardieは結局のところ究極目的は一つ(dominant)とみなす。

・”most final(teleion)”=複数の究極目的のうち、他の何のためにも追求されない”an inclusive end”

 

・Kennyのdominant説への批判(Ar.の加算否定に基づくKenny流dominant説)

Ackrill: eudaimoniaは”happiness”"comfort""pleasure"ではなく”the best possible life”に似ている

 

Ⅵ. NEⅠ.2の2つのfallacy

・"if p and not q, then r"の自然な解釈:not qの証明=pの証明。全体としてrを主張。

Hardieはそれ自体で望ましい一つの目的があるという事実が重要だと述べるが、Ar.はそれが何であるか、どんな学知・能力の対象かについての知識が大きな影響をもつと主張している。

・"inclusive end "と対立的な意味での"single object of desire"があるという意味ではない

inclusive説は「productを持たない活動がそれにも関わらず高次の活動に下属し、そのために存在する」という主張とつながる。

・"For the fallacy would disappear if an extra premiss were introduced――namely, that where there are two or more separate ends each desired for itself we can say that there is just one (compound) end such that each of those separate ends is desired not only for itself but also for it."

 

Ⅶ. NEⅠ.7後半のergon argument

・the best and most complete virtue=sophia説は根拠不充分

・ergon argumentの結論:"if there are more than one virtue, then in accordance with all of them" Cf.EE1219a35-9 "complete virtue"=all virtues

 

Ⅷ. Inclusive説の問題点

・EEにおけるような「全体―部分」というタームをENで用いないのは何故か

⇒inclusion概念がどのように理解されるべきかを正確に述べることがとても難しいことにAr.は気づいていた。

 

Ⅸ.

・①有徳な行為を有徳たらしめるのは何か

・②最善の生においてactionとtheoriaはどのように関連するのか

 

ENⅩやⅥを根拠に、theoriaを促進することが有徳さであると主張することはできない。

EEでtheoriaの促進が語られるのは、いつ・いかなる制限のもとで、自然的善(金・名誉・友など)が選ばれ、獲得されるべきかを決めるため。

⇒theoriaの価値が正しい行為の正しさの究極的基準をもたらすわけではない。

しかし、Ar.のよい行為の説明は循環している。

 

Ar.がこの問いにはっきりと答えられなかったのは、哲学者の生と政治家の生とを二者択一のものとみなす伝統的思考に従っていたから。

・真実は、その問題はAr.にとって概略的答えすら与えることのできないものであるということ。

・”the absolute priority rule:maximize theoria, and for the rest act well” はparadoxical。

どんなに非人道的行為でもtheoriaをわずかでも促進するなら行なうことになってしまう。

・そのようなparadoxical and inhuman consequencesを避けるための方法としては、妥協してtheoriaと有徳な行為との間で取引をする方法がある。しかし、Ar.の神学と人類学では不可能。Ar.による「人間本性」についての説明が不明瞭である以上、それに基づいた答えが与えられるはずの「最善の生」や「道徳」についての問題も不明瞭。